壮絶お産体験

やっとPCの前に座る気になってきた。
ほんとはまだやめたほうがいいのだけれど、記憶が薄れないうちにちょっと書いておこうと思う。壮絶なお産体験の話。

10月14日、夕飯のときに下腹部が痛んできた。キリキリー、って生理痛みたいな感じ。これはまたしても前駆陣痛か?と思いながら、早めに就寝。
10月15日1:00
本格的にハラが痛くなってきた。う〜(>_<)っと唸りながら、横になっているのも辛いので一人ベッドを抜け出し居間へ。痛みは10分より長い間隔で、だんだん規則的になってきた。これはいよいよ!とハラと腰を交互にさすりながら気を紛らわすために家中をうろうろ歩き回る。痛みの間隔が短くなってくると、だんだん歩けなくなり、痛むたびに四つん這いになって「ひっひっふー」。う〜、いてぇ!!!
10月15日3:30
ダーリンが起きてきてくれた。痛みの間隔を測りながら、「ひっひっふー」の時にはオシリの脇の筋肉を押してくれる。何か(って、もちろんはーちゃんなんだけど)が下に降りてくる力のせいでハラよりも腰〜オシリ脇の筋肉が痛ーーーいっ! 
10月15日6:00
うー、いつまでこれ、続くんだ?と呻きながら、間隔はまだ7,8分。でももう我慢ならないので病院に電話。外は明るくなってきた。
母さんの運転する車でダーリンと3人、車で病院にむかう。ダーリン以外は陣痛室にも入れない、と言うことで母さんは帰って自宅待機。
10月15日6:30-
陣痛室で使い捨て寝巻き?みたいなのに着替え、点滴用に血管を確保。オナカにベビーの心音と子宮の収縮をモニタリングする機械を貼り付けられる。その間も、陣痛はどんどん強くなる。いたーーーいっ!!!!!! ダーリンにひたすら陣痛に合わせてオシリを押してもらう。
10月15日8:00
陣痛室にいても既に入院扱いなので「朝ごはんでーす」とトレーに載ったフツーの朝食が出てきた。トーストにオムレツにリンゴの入ったサラダに紅茶に牛乳。こんなに痛いのに、こんなの食べられるかーい!と言いつつ、トーストだけ口にする。ヘバらないように何か口にしておかないと、と何かで読んだからさ・・・。

10月15日9:30
オシリのほうにかかる圧力がどんどん強くなってきた。そのうち、ぎゃーっ! なんかでちゃう〜っ!!!と思った瞬間オナカの中で「ぶちっ」って音が。ばっしゃ〜っ!!!と破水。ひえぇぇぇ! すごい量じゃないか! 500mlくらいじゃないのかよぅ! 羊水でベッドも寝巻きもぐっちょぐちょに。えーん、気持ち悪いし、いたいいいい!!!

10月15日10:00
とうとう分娩室に移動。痛くって歩くのもままならないけど、陣痛の合間にささっと移動。この時点で子宮口はまだ8cmくらいしか開いていない。いつ全開大になるの???

10月15日12:00
2時間唸り続け、先生の指示によって何回かいきんでみるけど、子宮口が全開大になりきっていないみたいでとにかく辛いばっかり。うまくいきめないので、とうとう無痛分娩に切り替えることに。腰からぶすっと麻酔を入れる。

無痛に切り替えたことで痛みが遠のき、お腹の張りに合わせていきむタイミングがつかめてきた! 「ふー(深呼吸)、ふー、はいっ(いきんでっ!!!)」苦しいぃぃぃ! 息が出来ない!

この状態で更に時間がどんどん過ぎていく。と、麻酔が効きすぎているのか、お腹の張りの満ち引きが自分で全く分からなくなってしまう。赤ちゃんはどんどん下に降りてきているのに、上からの圧力をかけてあげなくてはいけない私がそのタイミングを自分で全然つかむことが出来ない!! だんだんパニックになってきた。タカチャンと看護師さんの声かけにしたがって賢明にいきみを続ける。時間がかかりすぎている。
気づけば分娩室は3人のドクターに4人のナースとタカチャン。全員が見えてきた赤ちゃんの頭に集中している。でもいきむタイミングがうまく計れない私のせいなのか、赤ちゃんは出てこれない! 時間がかかりすぎている! 赤ちゃんの心臓が止まっちゃう!!!

2時間になる頃、いきむ度に失神している自分に気づく。最後の押し出しに必要な圧力をかけるためのいきみが途中で止まってしまう。分娩室は緊迫し、先生は吸引も試みたけどダメ、カンシも手にしたけどいきみが足りなさ過ぎ危険すぎるのでダメ、私のお腹には先生と看護師が二人も乗って押してくれたけどそれでもダメ・・・。

遠のいた意識の向こう側で、何か見てはいけないものを見た気がした。意識だけの世界、とでもいえばいいのか。

分娩室の明かりが視界に戻り、タカチャンの声が聞こえたとき、赤ちゃんの心音が消えかかっているのが分かった。

ここでドクターが緊急帝王切開を決断。両脇を抱えられ、手術室に移動。先生の判断からわずか10分後に先生はメスを手にして開腹。開腹から10秒後に赤ちゃんを取り出した。後から聞いたら先生のオペ暦の中でも稀に見るスピード手術だったとのこと。あまりの緊迫した状況を目の当たりにした看護師さんの一人は次のオペを別の人に代わってもらったとか。
タカチャンがずっと立ち会ってくれていてどんな状況なのか完全に把握していたこと、次にオペ室を使う予定があって全部セッティングされていたこと、無痛分娩に切り替えていて麻酔をかける時間が省けたこと、ドクターがいつもより多く病院にいたこと、そして赤ちゃんが大きくて体力があったこと、全部の条件がそろっていたから、そして何よりも赤ちゃんががんばってくれたから、赤ちゃんは生きて出てきてくれた。

部分麻酔で自分の体のなかで先生の手が赤ちゃんを骨盤から引き抜くのが分かった。でも赤ちゃんの声が聞こえなくて「聞こえない」と思うのと、自分のおかれている状況にパニックを起こすのが同時くらいだったと思う。記憶があるのはそこまで。

様子を見に来てくれた先生の声で全身麻酔からボンヤリ目を覚ました。先生が、保育器に入って、でもしっかり目を開けている私の赤ちゃんの写真を手渡してくれた。「よく頑張ったね」って。赤ちゃん、元気だぞ、って。